一生を通しての幸福度の積分値は、みな一緒かも。
最近、なかなか忙しく、
本当に、息つく暇なく色々と目まぐるしく動いています。
家庭教師して、家庭教師の面談をして、
大学で非常勤講師して、
写真撮影して、卒業アルバムの追い込みして、
その他、写真屋さんの業務もちょいちょいこなしています。
10月からの平均睡眠時間は、5時間切ってると思う・・・
まずいまずい・・・
家族との時間が、全然とれていないのが、
若干のストレス。
さて。タイトルですが、
最近、よく思うことです。
一生を通しての幸福度の積分値って、
みな一緒になりそう。 ってこと。
これは、客観的に見た時の幸福度。
たとえば、小学校時代、中学校時代、高校時代など、
勉強ばっかりやらされて、遊んだり恋愛したり、
厳しい学校に通っていたり、自由な時間が少なかったり。
幸福感は低い時代だったかもしれない。
でも、そういう人は、
比較的高学歴で、世間的に評価の高い会社や職業について、
非常に安定した、いい生活をしていることが多い。
ただし、ここで、幸福感が高い状態ならいいのですが、
収入あって、社会的地位はあるけれども、
『結婚』という部分で、なかなか幸福感を得られていない人もいる。
結婚はできても、家族という部分で、
不幸感を味わっている人は多々いる。
非常に高収入で、本当に欲しいものはほぼほぼ手に入っているけれども、
何か、満たされてない様子の人も多々いる。
逆に、そんなに裕福ではないし、
何かに恵まれている。という様子はないけれども、
いい旦那さんと、とてもかわいらしい子どもに囲まれて、
家族に関しては何の問題なく幸せそうに暮らしている人もいる。
いろんな形、いろんな状態の人生があり、
その中で、日々幸福感を得たり、不幸感を得たり。
その小さな感じていることの積み重ね。
そう、積分値というのを、一生で考えたときに、
人類はほぼほぼ一緒になっている気がします。
まぁ、世界を見たときに、
小さい子が、銃を持って・・・ということもありますが。
日々生きて行く。ということに関しては、
非常に重いし、不幸かもしれない・・・
けれども、日本のように自殺しようというものや、
学校なんかで感じる不幸感はないかもしれない。
そんなこんなで。
重要なのは、バランスなんだと思う。
自分が何を求め、どういう状態が一番満たされて、
その上で、それに対しての努力を怠っていないか。
このバランスだと思う。
いま味わっている大変さからの不幸感は、
将来への幸福案に繋がる。
いま味わっている幸福感は、
もしかしたら、将来の不幸感への原因かもしれない。
日々、ブラックに働き続けているから、
僕は、自由に仕事を選べるし、普通の人が経験できないようなことを多々経験している。
毎週末や祝日お休みで、
旅行に行ったり、飲み会したりイベントしたり、
すごく楽しそうな人も多い。
たぶん、幸福感高いんだと思う。
でも、そういう人で、
以外と『仕事』を本当に楽しんでいる人は、
なかなか少ない。
そして、いい恋愛、いい結婚が、
若干弱い。
でも、楽しそう。
めーーっっちゃ高収入な人。
すごい感じするけど、なんか微妙な人も。
何かに必死感で幸福感がかき消されてる。
そんなこんなで。
短い期間の中で、幸福度の積分値を安定させていけば、
トータルで、最高級の幸福感を味わうことはできないけど、
そこそこの幸福感を維持できる気がする。
そんなことを考えている今日このごろ。